広田赤ひげさんは、どんな人・・・・
坊ちゃん、坊ちゃんと言われながら育つ。
10代、京都の有名な劇団に入団、全国公演途中より舞台に立つ。
日活の石原裕次郎、小林旭,日活の第三の男、赤木圭一郎みたいな主役俳優をめざし上京。するも芸能人への門開かず,
都会と貧乏と夢の挫折、悩みくるしんだ青春時代を過ごす。
自分で渡航費用をため、20才の4月横浜より船にのり、シベリヤ経由でモスクワ・・・パリに留学。
当時の日本は貧乏国であった。ヨーロッパは物価が高く,羽が生えたようにお金が無くなる。少ししかもって
行っていないお金がすぐ無くなってきた。どうする どうする・・・・・・・
デンマークで雇われ先生ではなく、ゼロより空手を一人二人と教えていく。20才でデンマークの空手の父
となる。極真のマス大山先生の外国支部がない時代である。極真の支部は、いわゆる雇われ師匠である。
デンマークの夕刊の新聞の第一面、テレビなどに取り上げられる。日曜日の歩行者天国で大道空手を行う。
空手着に太いロープを腰に巻いて、5キロの鉄ゲタをはいて、殴る蹴るだけではなく、生け花、整体の3点セットで、
行く先々の地元のマスコミを騒がす。2年間世界一周の旅である。
電波少年の娯楽番組用の旅ではなく、30数年前の本物の話しである。
電波少年の旅はあれはあれで良い、3日間も5日間も食事をしていない、普通なら旅なんてできない。目くじらをたてることはない。
テレビを見ている人のために,喜んでもらおうというサービス精神。娯楽番組、演出家との3人旅。
軟弱 お粗末 現代日本人 猿岩石 帰国に西武球場に3万人の出迎え
帰国・・縁ありて,指圧の心 母心・・ ジェット浪越,浪越徳治郎先生の内弟子、学校を卒業。
アメリカにカイロプラクティックを勉強に渡る。生活のためロスアンゼルスにて指圧開業。ハリウッドスター、
チャルズ・ブロンソン三船敏郎さんなど多数治療。サンディエゴにて研修。
青山1丁目でカイロプラクティック開業。レントゲン検査は指定病院で行う。西日本に移転開業。大阪の針灸医療専門学校卒業。名古屋大学医学部3年間研修,及び症例発表。医師4000名医学会発表、医学雑誌発表多数。世界初1982年青空路上治療始める。時は流れ、若いときの夢に再挑戦、野垂れ死にしてもよい,前を向いて死にたい。裸一貫で再上京1年365日トライ トライ トライ人生これから
次の部屋はすごいよ